綾瀬川左岸広場を走りました/「野村ノート」について

綾瀬川左岸広場を走りました

私は昨年から越谷に引っ越しましたが、近くになかなか利便のいい練習場所がみつからずにいました。が、今日またひとつ発見しました。東武松原団地駅近く、綾瀬川左岸広場です。周回1キロ。ここに向かって走り、締めとしてここを「ぐるぐる」し、駅近くの「松原の湯」で最後の「締め」をするコースが考えられます。松原の湯は朝10時からなので朝練でもつかえそうです。練習パターンのバリエーションがまたひとつ増えようで、うれしかったです。

■「野村ノート」読了です。
野村監督については「えらそうなじいさん」といえなくもないですが、この本は結構楽しく読むことができました。清原選手や巨人というチームに対する見方については、個人的に見方が一致する点も多々ありました。
ちょっと印象に残った箇所を引用致しました。
〜引用開始
○野球界は常に社会を反映している。根性野球が管理野球に変わり、そしていまは情報野球に推移してきた。情報野球だからこそ、「打ち取るV.S.攻略する」の図式にならなくてはいけないのだ。いつまでたっても「打ち損じV.S.投げ損じ」のままでは、フアンの関心を引きつけることはできない。
○野球は「間」のスポーツであり、1球1球、アウトカウントやボールカウント、走者の状況など、その場面場面に生じる投手(捕手)、打者の心理の絡み合いが野球の妙であり、それを背景に数々のドラマを生んできたと考える。
ところが、最近のテレビ中継、新聞報道にはこうした「野球の妙」が欠落している。
解説者はただ選手を褒めちぎり、結果論だけで選手を評価する。人を批評する、すなわち人物の良否を判断するには基準や根拠が必要だが、最近の評論を聞いていると基準も根拠も見当たらない。いわば結果について自分の感想をいうだけ。場当たり的な解説を聞かされていては、視聴者も野球を見ていて学ぶものはない。ただうるさいだけで、当然のように視聴率は下がる。
引用終了〜
最近世の中に「成果主義」がはびこってきていることについては私も思うことがあるのですが、結果だけではなく「プロセスが大事」ということは私も日々考えているところです。