上野大仏

zen58842008-03-23

本日上野公園で花見をしました。そこで新たな発見が。不忍池ランナーとして、知らなかったなんてはずかしい!上野大仏をはじめて拝んできました。関東大震災を含め4度の受難を生き抜いたところがすごい!頬や鼻の頭をたくさん触ってきました。今年はいいことあるかな・・・。このあたりを走るときは、また立ち寄らせていただきます。
◆以下、ウィキペディアより抜粋。
上野大仏(うえのだいぶつ)、は現在の東京都台東区上野恩賜公園内に造立されていた大仏。像高約6メートルの釈迦如来坐像だった。 度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存されている。 所在地は上野精養軒に隣接する大仏山と呼ばれる丘の上。パゴダ様式の祈願塔と志納所(現在は閉鎖)が併設されている。
寛永8年(1631年)、 越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立。
正保4年(1647年)、 地震により倒壊。
万治年間(1658年〜1661年)、遊行僧浄雲が金銅像として再興。再興は明暦年間(1655年〜1658年)説がある。
元禄11年(1698年)、公弁が露座であった大仏に仏殿を建立。
天保12年(1841年)、火災により大仏、仏殿が損傷する。
天保14年(1843年)、堀直央の寄進により大仏を新鋳再建、仏殿を修復。
安政2年(1855年)、安政地震により、頭部が破損。再び堀直央の寄進により修復。
明治8年(1875年)、上野恩賜公園の整備にともない仏殿を撤去。露座にもどる。
大正12年(1923年)、関東大震災により頭部が落下。大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管するが、資金の目処が立たず再建計画は放棄される。
昭和15年(1940年)、金属類回収令により、顔面部をのぞく頭部、胴部以下が供出され消滅する。
昭和42年(1967年)、関東大震災の50回忌にあたり、上野観光連盟が願主となり大仏再建を願う祈願塔を建立する。
昭和47年(1972年)、寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置する。