旧戎橋を拝むことができずに残念・・・写真は旧戎橋

zen58842007-11-22

以下はインターネット上から抜粋

大阪・ミナミの道頓堀川にかかる戎橋の架け替え工事の完成記念式典が22日、真新しい橋の上で行われた。大阪市や地元商店街関係者が出席、82年ぶりに生まれ変わった新しい街のシンボルの誕生を祝った。
 新しい橋は、長さ26メートル、幅11メートル。大阪市が老朽化を理由に平成16年から工事を進めてきた。中央部分が広場のような円形のデザインで、川沿いの遊歩道へ続くスロープが設けられている。
 式典は勇壮な和太鼓で幕開け。神事の後、今宮戎神社福娘や商店主らの3代の親子らが「祝平成の戎橋渡り初め」と書かれた横断幕を先頭に橋を渡った。
 戎橋は、1615(元和元)年の道頓堀川の開削とほぼ同時にかけられたと伝えられ、今回の橋で15代目になる。若者がたむろしたり、阪神タイガース優勝時に川に飛び込む“名所”になったりしていることから、地元では架け替えによるイメージ一新の期待も大きい。野杁(のいり)育郎・戎橋筋商店街振興組合理事長は「戎橋はミナミの歴史を伝える場所。新しい橋を街の誇りとして、大切にしていきたい」と話している。

大阪ミナミの中心、若者の間では一名「ひっかけ橋」ともいわれ、一日中多くの人々の出会いの場として賑わう。戎橋は、道頓堀川の開削とほぼ同時に架けられたと考えられる。橋名の由来は今宮戎との関連が考えられるが定かではない。また橋の南側に操り芝居の小屋があったことから操橋(あやつりばし)とよばれたこともあった。さらに明治維新の直前、慶応3年(1867)に幕府が“戎”という外国人をさげすむ言葉の使用を禁止、一時的に永成橋と改名されたこともある。
 戎橋は今宮戎への参道にあたり、また千日墓地への墓参や橋の南側にできた芝居小屋などへ行く多くの人々に利用されてきた。橋の維持管理は周辺の町が担当。記録によると元禄7年(1694)の修理工事から明治11年(1878)に鉄橋に架け換えられるまでに13回の修理および架換え工事が行われた。 現在の戎橋は、大正14年(1925)に架けられたもので、鉄筋コンクリート製であるが、表面は花崗岩で化粧され、重厚な外観に整えられている。夜のとばりがおり、戎橋のアーチが道頓堀のネオンに彩られ、川面にその姿を映しだす様は大阪ミナミのシンボルの一つといえよう。